2007年03月01日

有本健二

彼との出会いは約4年前。

タカオが「いい選手がいるから声かけた!」
といって、某チームから移籍してくることとなった。

当初の背番号は『4』
ただ、CIBRASILで活躍するには少し時間がかかった。
1年目の彼は自分の力を出し切れず、試合に出ることもなくベンチでの時間を多く過ごす。
全国4位になった全日本選手権でも、ほとんど出場時間を与えられれることもなく大会を終える。
そしてその翌年より少しずつ出場のチャンスを掴み始める。
そこでも、思うように回りと噛み合わなかったり、プレーに納得がいかず試合後は涙を見せることもしばしばあった。

タカオの助言で背番号を『11』と変更。
その後何故かの驚異的な成長を見せる。
これまでとは全く違う輝きを見せ始め今ではチームの柱的存在まで成長を見せてきた。
今でもその成長は、背番号変更のおかげだということになっている(笑)!

おとなしく、無口だがかなりの努力家。
精神的にはまだ若く波の多いところはあるが、技術が高く、スピードを生かしたドリブルやスペースへの走り込みなどは非凡なものを見せている。

大学生活を終え、4月からは社会人となるためこの1ヶ月が大きな意味を持つ。
ぜひ貴重な何かを手に入れ帰ってきてほしい。
posted by しゅう at 15:41| 岐阜 ☔| Comment(3) | TrackBack(0) | HISTORY | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月16日

千博☆

久しぶりのHISTORY。

F千博☆
抜群の天然キャラと、誰にも止めることの出来ない『いじめられキャラ』で
チームを牽引。そんな彼にもつらく厳しい青春時代があったことを知っているものは少なくない。


千博との出会いは彼が小学3年生のとき。兄である涼太より先に知っていた。
新しく少年チームを立ち上げるときの体験練習に来てくれたのが最初の出会いだった。
体操着姿で名札に『中島 千』と書いてあったのを良く覚えている。
とても元気がよく、何事にも全力で取り組むすばらしい少年だった。
軌道に乗った我が少年チームではちょっとした
『ちーちゃんブーム』
みたいなのもあった。
紅白戦なんかで彼がチームにいると絶対負けない、よそチームの指導者にも一目置かれる存在にまで成長していたからだ。
間違いなく、少年チームの『KING』となっていた。
ただ、そのキングの時代も長く続かなかった。
小学6年生の夏以降、よそのチームのエースが我がチームに移籍。
『ちーちゃんブーム』から若干その移籍選手に流れが傾いた。
不運はまだまだ続く。
中学時代は、度重なる怪我に泣かされ大事な試合はほとんどといっていいほど出場することができないまま卒業。
不完全燃焼のまま兄と同じ高校に親元を離れて進学。
ここでも苦しい怪我との戦いがあった。
入学してすぐに手術をして、約1年間全くプレーしていない状態が続く。
「サッカーをしに来たのにサッカーが出来ない。」
きっとそんなフラストレーションでストレスのある毎日を過ごしていたのではないかと思う。
高校を卒業後、岐阜に帰ってきてようやく思いっきりプレーが出来るようになった今、彼の明るさと元気のよさがよみがえってきたのではと感じる。
苦しい青春時代を乗り越え、フットサルと出会い、少しずつ輝きを増している今、新たに始まる彼の『青春』にフットサルは無くてはならないものである。
これからの彼はさらに輝く☆
posted by しゅう at 23:02| 岐阜 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | HISTORY | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月25日

CIBRASIL HISTORYA

至との出会い

至との始めての出会いは、友人が撮影した『第7回全日本選手権決勝のFIRE FOX vs SUERTE BAFF戦』のビデオの中でした。
彼は、観客席から何度となく雄叫びを上げてカメラにフェードイン!「熱心なサポーターだな〜。」「試合が見れないジャン。。。」などと思ってはビデオを見ていました。

彼はその試合、12人のベンチ入りから漏れてスタンドからの観戦でした。

まさかその彼と同じチームでプレーすることになろうとは・・・。

彼はみんなと話すごとにBANFF時代の話をよくしてくれる。
そして、それがあるから今の自分があるのだと・・。
若く、競争を知らない選手が多い中、彼の厳しさはチームにとっては欠かせないもの。

試合中仲間にも審判にもよく怒る。
観客席からよく野次る。
よくブラジル人とよく間違えられる。

などなど、話題には事欠かない彼ですが、フットサルへの情熱すさまじく熱いものがあり、今このチームがこうしてあるのも彼の情熱によるところが大きいのを皆さんもお忘れなく。

有本のことはよく怒るけど、その後のフォローは、チーム一丸でやってますから(笑)!

前回出場した全日本選手権。至は驚異的な集中力でチームのピンチを再三救った。
おそらく、今回もすばらしいパフォーマンスと存在感を見せてくれることでしょう!

全日本まであと33日exclamation
posted by しゅう at 22:59| 岐阜 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | HISTORY | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月17日

CIBRASIL HISTORY

タカオとの出会い

森島がタカオと出会ったのが96年ごろ。
森島が以前勤めていたレインボー(フットサル施設)には、多くのブラジル人が遊びに来ていた。中には、自称元プロ選手という人も数名いた(中には怪しいのも・・・)が、フットサルを真剣にやっている選手はタカオしかいなかった。森島も当時は競技フットサルはほとんど見たことがなく実質森島の見た初めてのフットサル選手は『タカオ』だった。
周りの人が言うには、「彼は養老にあるめちゃくちゃ強いチームの一員だ」とか、「フットサルで東京のほうへ毎週通っている」とか、さっぱり訳のわからないことを言っていたが、なんとなく凄いんだということはすぐに分かった。もちろんプレーも今まで見たことのない足の裏を使ったトラップや独特のフェイクなど今でこそ当たり前になったけど当時はとても新鮮に映った。
フットサルを少し知るようになって分かったんだけど、「養老のめちゃくちゃ強いチーム」というのは伝説のチーム『プラスパミート』ドゥダやユージがいたチーム。2年間無敗だったらしい。そして、東京のほうへ行っていたのは、『エスポルチ藤沢』や『カスカベウ』に助っ人として行っていたということ。初めて行った全日本選手権のとき、カスカベウの選手やロンドリーナの選手などと普通に話をしていたタカオを見て、「日本のフットサルにめちゃめちゃ貢献している人なんだな〜」「こんな人たち人と一緒にやれて幸せだな〜」などと変にしみじみした自分がいたことを鮮明に覚えてる。

彼は今も当時と変わらないプレーをしていることに感心する。そして、彼らと一緒にプレーする若い選手を羨ましく思う。
もう一度彼らと全国の舞台に立てることに感謝、感謝ぴかぴか(新しい)
posted by しゅう at 23:21| Comment(3) | TrackBack(0) | HISTORY | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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